代表あいさつ

銀座農園株式会社代表の飯村 一樹よりご挨拶です。
銀座農園株式会社代表取締役 飯村 一樹

銀座農園株式会社代表取締役 飯村 一樹

創業への想い

私は1974年に農業の盛んな茨城県下妻市に生まれました。

関東地方特有の地平線まで稲穂が広がる原風景のなか、幼い頃は水田でカエルやバッタを、梨畑ではアブラゼミを追い回す日々でした。親族には酪農・養豚の農家だけでなく自営業が多く、経営という存在は非常に身近な存在でした。特に母の生家は酪農だったので私たちは牛舎の中を走り回る一方で、休みなく働く農業の厳しさ、経営の姿を知ったのもこの頃でした。

我が家の祖父は300人ほどの工場経営を任されていましたが、私が幼少の頃に亡くなったために温和な笑顔しか記憶はありませんが、地元ではとても信頼の厚い男だったようです。 父と母は高校の教員で、父は高校野球の監督だけでなく学校長として熱血漢あふれ、規律に厳しい一方で、子供たちの自立心を尊重した倫理観の強い教育方針でした。子供の時分には息苦しかったのですが、「勉強しなさい」という言葉は聞いた記憶がありません。

大学卒業後は一級建築士として企画・設計業務のほか、現場監督として工事現場を監理する業務も担当して、技術者をまとめる組織運営の難しさを学んだ時期でもあります。 その後、株式公開準備中のベンチャー企業に移り、建築・不動産の有効活用コンサルティング業務に従事し、株式公開の一躍を担いました。入社年数に関係なく、能力と実績次第で報酬・待遇が変わるベンチャー企業のやりがい、醍醐味を十分に味わうことができました。

株式公開後は、不動産投資や事業再生を手掛ける戦略投資・コンサルティング部門長として30人ほどの組織を牽引しつつ、資本市場から調達した莫大な資金を活用した投資戦略、株主から求められる高い収益目標など、20代で多くのプレッシャーと達成感を学び得ることができました。

このような生き馬の目を抜く資本市場での戦いを続ける一方で、ニュースなどから聞こえてくる生家を含めた地方の衰退ぶりを見ていると、日本の将来に対する危機感が日増しに強くなってきました。 そして、30歳の時。昼夜の激務によって体調を崩したことによる長期療養をきっかけとして「資本市場よりも衰退する地方を元気にしたい」と退職を決意。

その後、各地方都市で地域ファイナンスのセミナーを行うなかで、高松丸亀町商店街(B,C街区)まちづくりファンド設立の金融アドバイザーに就任、そのなかで農業という地域産業の重要性に改めて気付きました。いくら地方都市に資金を還流させても、地域で生まれる産物に価値が付かなければ意味がないのです。

「地方を活性化させるためには農業だ」

旧態依然とした農業界を革新するために、2007年に銀座農園(株)を設立しました。

紆余曲折の人生で培った建築の技術、不動産の運用ノウハウ、金融の考え方などをフル活用して日本の農業を成長産業へ、そして日本の農業技術を世界に輸出するために鋭意努力してまいります。